
| 田野町の遺跡発掘調査 |
| 【宮崎日日新聞より】(平成13年12月9日掲載) |
西日本最大級の縄文集落 田野町・本野原遺跡で発見 100超す堅穴住居跡 田野町元野の本野原(もとのばる)遺跡で、西日本最大級の縄文時代後期(四千〜三千年前)の集落跡が、八日までに見つかった。百以上の堅穴住居のほか、整地された広場や、それを環状に囲む土抗群などの珍しい遺構も出土。当時の集落の全容をうかがえる貴重な成果だ。調査した田野町教育委員会は「多数の土杭や住居など、西日本では最大規模の集落。東日本に比べ大規模な集落の出土の少ない西日本での調査の先駆けになると思う」としている。 大型建物の柱穴?も 遺跡は標高約180メートルの台地にあり、農地整備に伴い南北約130メートル、東西約70メートルの範囲を調べた。 南側では、直径約30メートルの広場を、墓か貯蔵穴と考えられる土杭群が環状に囲んでいた。北側と東側には、100以上の竪穴住居が密集。住居を何度も建て替え、長期間住んでいたとみられる。 広場はなだらかなすり鉢状に整地され、町教委は「縄文後期の整地跡は全国的に珍しい」としている。 今後調査する西隣の区域で住居跡が見つかれば、西日本ではほとんど例がない、円形に住居配置した環状集落の形になる可能性があるといい、東日本では縄文中期に栄えた環状集落との関係が話題になりそうだ。 さらに、中央部西側では、直径や深さが最大1メートル以上の穴が整然と2、3列に並んで出土。町教委によると、大型建物の柱穴とも考えられ、南北約70メートル、東西約2.5メートルの一棟と、5、6メートル四方の二棟の計三棟が、南北に一列に並んでいたことも想定される。 大量の土器を捨てた土器だまりでは、瀬戸内海系の土器も見つかり、海を越えた交流もうかがわせた。 町は遺跡に盛り土して保存したい考えだ。 当時の様相理解 【木村幾多郎・大分市歴史資料館長(九州縄文研究会長)の話】 縄文時代後期の集落の様相が分かる重要な遺跡だ。土杭や住居などの配置が東日本の縄文集落に類似した集落が、西日本にもあったことが分かる。一時的に別の場所に移動しても、再び戻ってくるような拠点集落だったのは間違いない。きれいに並んだ大きな穴が大型建物跡かどうかは検討が必要だ。 地域の中心的集落か 三内丸山遺跡(青森市)を筆頭に大型の縄文遺跡が多い東日本に比べ、西日本には集落の全容がつかめる遺跡が少なかった。田野町・本野原遺跡で出土した縄文時代後期の大規模集落は当時の人々がどんな思いで生活空間をつくったのかを知る材料を提供している。 西日本の縄文集落に詳しい辰馬考古資料館(兵庫県西宮市)の矢野健一学芸員は、広場を取り巻く土杭群を他集落も含む共同墓地と推定。 「住居がかなり重なるので、同時に住んだ人数は多くないだろう。地域の人が集るセンター的な集落だったと思う」と分析する。 興味深いのは土杭群だけでなく、東から北へ巡り、東日本に起源する環状集落を思わせる住居跡だ。 「集落を環状にレイアウトしたことがうかがえる。典型的な環状集落ではないが、東日本の影響を受けている」。鹿児島国際大の中園聡・助教授(考古学)は、調査が進めば西日本でもさらに環状配置の縄文集落が出土する可能性があるとみる。 縄文中期に東日本で隆盛を極めた環状集落の文化が、東から西にどう伝わったのか。本野原遺跡はそれを解くカギの一つになりそうだ。 宮崎日日新聞 平成13年12月9日 記事より抜粋 |
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